無神論

無神論は、世界観の説明に神の存在、意思の介在などが存在しない、または不要と主張する考え方である。

無神論の歴史 - 日本近世期における無鬼論

日本においては幽鬼、すなわち霊魂や鬼といった妖怪の存在を否定する「無鬼論」として始まる。無鬼論は、儒学における「気(万物を構成する要素)」と「祭祀(招魂といった先祖崇拝)」の解釈(現象と関係)に伴う矛盾から発展していったものであり[4]、西洋のような一神教による絶対的な世界観を科学解釈によって徐々に崩された(科学的な根拠の積み重ねによる否定の)上で成り立ったものとは異なる。中国の朱子は、気(現代でいえば、原子のようなもの)の集まりが「生」と捉え、気の離散が「死」と解釈した上で、気の離合集散によって魂魄の現象を合理的に説明しようとした(魂魄の項の「儒学における魂魄現象の解釈」も参照)。結果、霊性を否定しかねない矛盾した論考(一度、離散した気=魂魄は二度と戻らない=死と主張したために、祭祀による招魂儀礼を行うことに矛盾が生じた)に至ってしまい、後世、林羅山といった儒学者に鬼神(魂魄)の有無について半信半疑な立場を取らせ、江戸期日本の朱子学者を「無鬼論者」(伊藤仁斎)と「有鬼論者」(荻生徂徠)に二分させた。
多神教(道教神道など)では、先祖を人物神として祀る信仰観から、祭祀による招魂儀礼が行なわれるが、魂魄=気の離散が死であり、離散した気は二度と戻らないとする朱子学の主張(仏教の輪廻転生を否定するために生み出した合理的論説)は、一部で無神論にも通じることになる。

 

参照:Wikipedia無神論